樺沢城〔樺野沢城〕(南魚沼市・旧塩沢町)
上杉景勝の生誕地説のある樺沢城
2009年05月23日
樺沢城の築城時期は不明ですが、南北朝時代は新田義貞の家臣である田中右衛門尉の居城していたと言われています。
戦国時代は、上田長尾氏の家臣栗林氏が城代をつとめていました。
上杉謙信の関東出兵の際の宿城としても機能していたようです。
長尾政景夫人の仙桃院もこの城にいたという説があり、弘治元(1555)年、長尾政景と仙桃院の子卯松(後の上杉景勝)もここで生まれたとも言われています。
御館の乱の際には上杉景虎の兄である北条氏政は北条氏照、氏邦に命じ大軍を率いて三国峠を越境し、上田の庄(魚沼)に乱入し、樺沢城を攻略し激しい戦いが繰り広げられました。国境近くの荒戸城とともに樺沢城は落城し、北条軍は樺沢城を本拠として坂戸城などを攻撃しましたが、雪に阻まれ一部を残して撤退しました。
当初景勝軍は劣勢でしたが、武田勝頼を味方につけた景勝は戦いに勝利し、樺沢城の奪回にも成功しました。
この戦いにおいて当城の番将である栗林政頼は「肥前守」の位を与えられ、樺沢城主を命じられました。
慶長3(1598)年に景勝は豊臣秀吉から会津に国替えを命じられ、樺沢城はそのころ廃城になったと考えられています。
城跡保存会が城郭保存に熱心に取り組んだそうで、遺構その他城下には上田衆家臣団等の屋敷跡についてあちこちに石碑が建てられています。城内には上杉景勝の胞衣塚、郭、堀切などが残っています。
Photo Canon EOS 30D
H21.5.3
住所: 新潟県南魚沼市樺野沢
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