八上城(丹波篠山市)
波多野氏の居城だった国指定史跡八上城
2005年10月24日
八上城は、標高459mの丹波富士とも呼ばれる高城山に築かれた波多野氏の五代に亘る居城です。
初代清秀は、応仁の乱(1467~77)の戦功によって、室町幕府管領 細川政元から多紀郡を与えられ八上へ入りました。
その後、波多野氏累代は、戦国時代を通して勢力を蓄え、大永七(1527)年 管領細川高国を放逐し、天文7(1538)年に丹波守護代内藤氏を攻略、永禄年間(1558~69)には三好長慶や松永久秀と戦いを繰り広げました。
波多野氏は、まず奥谷城(蕪丸)を、続いて本城の八上城、さらに殿町にあった城下町を守るため支城の法光寺城を築き、一帯を一大要塞化し、大規模な戦乱に対応した城造りを進めました。
天下布武を目指す織田信長が上洛すると、5代目の波多野秀治はそれに従わず、天正3(1575)年から信長が派遣した明智光秀の攻勢を受けることになりました。光秀は八上城の周囲に付城を巡らせ八上城を徹底包囲しました。天正7(1579)年6月、1年に亘る籠城戦の末八上城は落城し、秀治ら兄弟三人は安土城下に移され殺されました。
慶長7(1602)年、前田茂勝が入城しましたが、慶長13(1608)年に改易されました。その後、慶長14(1609)年、松平康重が城主の時、篠山城を築城したため八上城は廃城となりました。
平成17(2005)年3月2日、国の指定史跡になっています。
H17.5.21
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.11.26(写真差し替え)
住所: 兵庫県丹波篠山市八上上
関連リンク
タグ
地図
関連情報