松前城(松前町)
我が国最後の日本式城郭・松前城
2005年10月25日
松前城の前身は福山館(福山城)です。
蝦夷地は、鎌倉時代から和人が移住してきましたが、康正3・長禄元(1457)年、武田信広(松前家始祖)がコシャマインの乱を平定し、蛎崎家を継ぎ、その子蠣崎光広は本拠をそれまでの上国から松前の大館に移しました。
天正17(1589)年五世蠣崎慶広の時、姓を松前に改め、大館の居館焼失を機に慶長5年(1600)福山に築城を着手し、慶長11(1606)年松前城の前身となる福山館を築城しました。
幕末となって蝦夷地警備のため、幕府は嘉永2(1849)年松前崇広に命じて、福山館を全面的に近代日本式城郭とし、安政元(1854)年松前城が完成しました。
縄張りは、長沼流兵学者・市川一学によるもので海側からの艦砲射撃に備えて砲台を備えていました。これが我が国最後の日本式城郭となりました。
しかし、明治元(1868)年蝦夷地に独立政権樹立を目指す旧幕府の榎本武揚の軍は、五稜郭を落とした後の11月5日、元新選組の土方歳三が700名ほどを率いて松前城を攻撃し、数時間で落城してしまいました。
箱館戦争の終結後、再び松前氏の領有となりますが、明治4(1871)年の廃藩置県の後、明治8(1875)年、天守など本丸の施設を除くほとんどの建築物が取り壊され、松前城の石垣を再利用して松前波止場と呼ばれている岸壁が整備されました。
昭和16(1941)年に天守、本丸御門、本丸御門東塀が国宝保存法に基づき当時の国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定されましたが、昭和24(1949)年6月5日に城跡にあった松前町役場からの出火が飛び火して天守と本丸御門東塀は焼失しました。
現在の天守は昭和35(1960)年に外観工事が完成し、昭和36(1961)年5月16日に第二期工事が落成し松前城資料館となりました。
平成13(2001)年には北海道遺産に選定され、平成18(2006)年には日本100名城に選定されています。
開館時期 4月10日~12月10日
開館時間 9:00~17:00(入館時間は16:30まで)
入館料 大人360円、小・中学生240円
H17.7.14
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.7.17(写真差し替え)
住所: 北海道松前郡松前町字松城144
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