志苔館(函館市)
本州から渡来した和人豪族が築いた館の跡・志苔館
2005年10月26日

志苔館跡は、函館市の中心部から約9km離れた標高25m程の海岸段丘南端部に位置しています。
西側には志海苔川が流れ、南側は志海苔の市街地および津軽海峡に面し、函館市街や対岸の下北半島を一望することができます。
館跡は、ほぼ長方形をなし、四方は高さ2~4m、幅10~15mの土塁で囲まれ、その外側には、壕が巡らされています。郭内は、東西70~80m、南北50~65mで、約4,100㎡の広さがあります。また、館跡の正面にあたる西側には、二重に壕が掘られ、さらに外側に小土塁が巡らされています。
松前藩の史書「新羅之記録」によると、室町時代頃、道南地方には12の和人の館・道南十二館があり、志苔館跡もその一つで、小林太郎左衛門良景が居住していたことが記されています。この記述によれば、康生2(1456)年志苔館付近でアイヌの蜂起があり、この戦いにより翌長禄元(1457)年5月14日志苔館が攻め落とされたといわれています。
戦いの後、再び小林氏が館に居住していたが、永正9(1512)年4月16日にアイヌの蜂起があり、志苔館は陥落し、館主の小林彌太郎良定が討死したといわれています。その後は、小林氏が松前藩に従属したために、志苔館は廃館となりました。
志苔館が廃館になった16世紀中期以降、館跡がどのように使用されていたかは不明ですが、明治時代にはかなり荒廃が進んでいたようです。このため、地元の人達の手により保存の努力がなされ、そのことは郭内に残されている記念碑からもうかがい知ることができます。
大正時代に北海道庁により調査が行われ、昭和9(1934)年、国の史跡に指定され、昭和52(1977)年には周辺部も追加指定されています。
函館市では、史跡保存の万全を期すため、国・道の補助を受けて、昭和51(1976)年度から、「史跡志苔館跡土地買上事業」を実施して指定地の公有化を進めるとともに、昭和58(1983)年度から昭和62(1987)年度にかけて、「史跡志苔館跡環境整備事業」を実施しました。
この環境整備事業により、郭内外の遺構確認発掘調査を実施し、志苔館が構築された当時の様子を明らかにするとともに、調査結果に基づいて遺構の復原・整備を実施しました。
(現地説明板より)
この場所は、函館空港に近い場所にあります。函館市街地と海の風景も美しい館跡です。
H17.7.16
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.7.16(写真差し替え)
住所: 北海道函館市志海苔町
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