現在は、舞鶴城公園として整備され稲荷櫓が復元された甲府城
2005年10月27日
甲府城は天正18(1590)年、豊臣秀吉が天下統一をなしとげると、秀吉の命令により甥の羽柴秀勝、腹心の部下である加藤光泰らによって築城が始められ、浅野長政・幸長父子によって完成をみました。
江戸時代はかつて武田氏の家臣で武川衆であった柳沢氏の子孫でもある柳沢吉保が城主になった以外は、徳川一門の居城、幕府の直轄地となりました。
明治元(1868)年には新政府軍を率いた板垣退助らが無血入城しました。
明治維新後は廃城となり、建物が取り壊される一方、勧業試験場および葡萄酒醸造所などが設置され、また城域北部では中央線敷設による解体など甲府城は本来の姿を変えていきました。一方で保護・保存の動きもあらわれ、大正6(1917)年には甲府市在住の村松甚蔵氏らの尽力によって国からの払い下げを受け、県有地となりました。戦後は市街地復興に併せて整備が進められ、昭和39(1964)年に都市公園「舞鶴城公園」、昭和43(1968)年には県の指定史跡「甲府城跡」となりました。
現在は、舞鶴城公園として整備され、平成16(2004)年、稲荷櫓が復元されました。
平成18(2006)年には日本100名城に指定されています。
平成19(2007)年には分断された北側の山手渡櫓門が復元されました。
H17.9.8
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.12.30(写真差し替え)
住所: 山梨県甲府市丸の内1丁目