九戸城〔福岡城〕(二戸市)
九戸政実の乱で有名な九戸氏の居城で南部信直も居城とした九戸城(福岡城)
2009年08月25日
九戸城は南部氏の一族、九戸氏の居城です。
有名な九戸政実の4代前の光政が明応年間(1492~1501)に築城しました。
天正8(1580)年三戸城主南部晴政が死去。跡を継いだ晴継も急死し、晴政の養子で晴継誕生前までは跡継ぎとしていた一族の田子信直と九戸政実の弟実親が跡継ぎを巡って争いますが、南部氏は信直が跡を継ぐことになりました。
天正18(1590)年、秀吉は小田原城攻略後、奥州仕置を開始しました。しかし奧州は一揆などが起き政情は不安定でした。この機に乗じ九戸政実は翌天正19(1591)年3月に挙兵しました。信直は苦戦を強いられます。信直の要請で秀吉は羽柴秀次を大将とし、蒲生氏郷、浅野長政、堀尾吉晴、徳川家康の部将井伊直政を派遣しました。奧州の小野寺義道、戸沢政盛、秋田実季なども参陣し6万の大軍となりました。豊臣軍は九戸領を攻撃し、やがて九戸城を包囲しました。籠城軍は5千人でしたがよく善戦し豊臣軍は4日、九戸氏菩提寺の和尚を使者に、政実の武勲を称え、婦子女や下級武士の助命を条件に和議を勧告します。
政実はこれを呑み開城しますが、これは謀略で、悉く撫で斬りにされ九戸城はあえなく落城し政実、実親兄弟は処刑されました。
この戦いを九戸政実の乱と言います。小田原攻めで秀吉の天下統一がなったとよく言われますが、この九戸城の戦いで秀吉の天下統一がなったという言い方の方が正しいと思います。
信直に和賀・稗貫・志和の三郡を加封、蒲生氏郷に命じ九戸城を改修し近世城郭に改めました。
南部信直は九戸城を福岡城と改め南部氏の居城としました。しかし、この地は和賀・稗貫・志和の三郡を加えた南部氏にとって北に偏りすぎているため、信直は不来方の地に居城を移すことを決意。利直は不来方の城を盛岡城と命名し居城を移し、福岡城は廃城となりました。
石垣、空堀、土塁、郭などがよく保存され、国の史跡に指定されています。
Photo Canon EOS 30D
H21.7.27
住所: 岩手県二戸市福岡城ノ内
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