栃尾城(長岡市・旧栃尾市)
若き日の上杉謙信が過ごした山城・栃尾城
2005年11月08日
栃尾城は、築城年代は不明ですが、南北朝時代の正平年間に、下野の将芳賀禅可が下越後の守護として一時ここに寄り、当山を縄張りし要害堅固な山城として築いたとも言われています。室町時代には、春日山城を本拠とする守護代長尾氏の属城となり、 古志長尾氏の家臣本庄氏の持城となりました。
天文5(1536)年春日山城で長尾為景が亡くなると、 嫡男の長尾晴景が家督を継ぎましたが、晴景は病弱のため守護職上杉氏の養子問題に絡む争乱を押さえきれなかったため、晴景は春日山城下の林泉寺で修行の日々を送っていた弟長尾景虎 (後の上杉謙信)を還俗させ、天文12(1543)年、中越の要であった栃尾城に入城させました。
近郷の豪族たちは景虎を若輩と侮って栃尾城に攻めかけましたが、栃尾城代本庄実乃(さねより)の補佐などもありで、見事に敵を撃退したため、景虎の武将としての勇名は轟きました。
越後の豪族たちは病弱の晴景に代わり景虎を守護代に擁立しようとする動きが広がり、晴景と景虎の争いになりました。
天文17(1548)年景虎は守護上杉定実の仲介で兄晴景に代って守護代職を相続することになり、春日山城に入りました。
謙信没後の天正6(1578)年の「御館の乱」の際、本庄実乃の子本庄秀綱は上杉景虎に味方しましたが、景虎が敗れた後も戦いましたが天正8(1580)年 4月景勝軍の攻撃を受けて栃尾城は落城しました。
以後、景勝の家臣が交代で城代を勤めたようです。
慶長3(1598)年景勝の会津移封にともない、栃尾城には春日山城主となった堀秀治配下の武将神子田政友が在城しましたが、 慶長15(1610)年堀家の改易にともない廃城となりました。
H11.9.8
Photo Canon EOS 30D
H21.5.4(写真差し替え)
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