上杉家廟所〔米沢藩主上杉家墓所〕(米沢市)
初代謙信公から12代斉定公が眠る上杉家廟所
2005年11月16日
上杉家廟所は、歴代の米沢藩主の墓所で、杉木立のなかに整然と廟屋が並び御廟所あるいは御霊屋と呼ばれています。
藩祖上杉謙信公を中央にしてその両側に12代までの藩主の廟が並んでいます。
謙信公の廟は、上杉氏の移封に伴い越後春日山から会津若松へ そして、慶長5年(1601)年 米沢城本丸へ移されました。さらに、明治9(1876)年にこの地に移され墓所全体が現在のように整備されました。
謙信公の廟屋の向かって左が上杉家2代(初代米沢藩主)景勝公の廟です。元和9(1623)年に景勝公が死去すると、謙信公の御遺骸の避難所だったこの地で火葬に付され遺骨の大部分は高野山清浄心院に納められ、この地には分骨という形で位牌や衣服を埋めて五輪塔を置き、入母屋造りの廟屋を建てました。
以後、八代宗房公まで同じ形式で左右交互に廟が造られました。
寛政6(1794)年、世子(次期藩主)の顕考公(鷹山公の長男)が19歳で死去した際火葬から土葬に改められました。
廟屋は宝形造りとなり、以後9代重定公から12代斉定公まで土葬が続きました。 この荘厳な廟所は、東西110m、南北180mで樹齢四百年を越す老杉があり、近世大名墓所の代表例として昭和59(1984)年に国の重要な史跡に指定され、平成6(1994)年から平成20(2008)年にかけて保存修理工事が行われました。
H11.9.11
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H22.9.12(写真差し替え)
住所: 山形県米沢市御廟1-5-30
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