多賀大社(多賀町)
伊邪那岐大神、伊邪那美大神を祭神とする多賀大社
2005年11月21日

多賀大社は、「延命長寿」「縁結び」「厄除け」の神として知られる伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)を祭神とする神社です。
明応3(1494)年には神仏習合が進み、神宮寺として天台宗の不動院が近江守護六角高頼によって建立されました。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあり、ここに見る「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子であることによる。なお、当社に残る垂迹曼荼羅(すいじゃくまんだら)は坊人が国を巡行して神徳を説く際に掲げたものです。
天正16(1588)年には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母・大政所の延命を祈願し、成就したため、社殿の改修を行わせようと大名に与えるに等しい米1万石を奉納しました。
元和元(1615)年には社殿が焼失しましたが、江戸幕府将軍徳川秀忠により社領350石の寄進を受け、寛永10(1633)年に徳川家光が再建を命じ、5年後に完成しました。
慶安4(1651)年には彦根藩主井伊直孝により社領150石の寄進を受けています。
明和3(1766)年に屋根の葺き替え等の大改修が行われましたが、安永2(1773)年には大火災によって大半の社殿が焼失してしまい、さらに天明2(1782)年にも火災に遭います。その上、寛政3(1791)年には暴風で多くの社殿が倒壊しました。このように江戸時代の多賀社は災難続きでしたが、その都度彦根藩および幕府からの手厚い寄進・寄付が行われ、文化5(1808)年には本殿が再建されました。明治初年の神仏分離令を機に廃仏毀釈の動きが広まり、多賀社の神宮寺も廃絶した。別当職不動院は明治元(1868)年に復飾せられ、境内にあった全ての神宮寺は払拭されました。
昭和5(1930)年本殿を新築し、それまでの本殿は昭和7(1932)年に犬上郡豊郷町の白山神社にその本殿として移築しています。
三間社流造の本殿等の屋根の檜皮葺の葺き替え、ならびに参集殿新築造営は、昭和41(1966)年から行われ、昭和47(1972)年に完成しました。
また、当社は平成14(2002)年から数年を掛けて「平成の大造営」を行いました。
多賀社のお守りとして知られるお多賀杓子は、元正天皇の養老年中、多賀社の神官らが帝の病の平癒を祈念して強飯(こわめし)を炊き、シデの木で作った杓子を添えて献上したところ、帝の病が全快したため、霊験あらたかな無病長寿の縁起物として信仰を集めたと伝えられます。
「お多賀杓子(おたがじゃくし)」は、「お玉杓子(おたまじゃくし、玉杓子、お玉)」の語源になったと考えられ、カエルの幼生「おたまじゃくし」は、「お玉杓子」から派生した名称なので、「オタマジャクシ」の語源もまた、「お多賀杓子」ということになります。
門前の土産物屋では「糸切餅」という綺麗な餅が名物だそうで、おみやげに買って帰りました。
H16.11.17
Photo Canon EOS 30D
H20.9.23
住所: 滋賀県犬上郡多賀町多賀604
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