多気北畠氏城館・北畠氏館〔北畠神社〕(津市・旧美杉村)
北畠神社は、寛永20(1643)年、北畠一族の末裔鈴木孫兵衛家次が北畠氏館跡にに小祠を設け、北畠八幡宮と称したのが始まりです。祭神は、伊勢北畠氏の祖で北畠親房の三男、北畠顕能です。父・北畠親房と兄・北畠顕家を配祠しています。建武中興十五社の一社です。南北朝から戦国時代、この多気の地は伊勢国司であり大名であった北畠氏の本拠地でした。その中心であったのが、多気のほぼ中央に位置する北畠氏館跡と詰城及びその背後の山頂にある霧山城跡からなる多気北畠氏城館跡です。
北畠氏館跡は、北畠神社境内を中心に西を山裾、それ以外を川で囲まれた場所にあります。館跡内で行われた学術調査の結果、15世紀末~16世紀初頭には大規模な造成が行われ、中世城館では日本最古となる南北2列の石垣が設けられ、土器からは京都文化との繋がりが明らかになっています。
また、北畠氏館庭園は曲水池泉の鑑賞式庭園で、戦国時代の庭園として非常に著名なものであり、庭園には、「米」字形をする園池と立石による枯山水からなります。
細川高国の作庭といわれ、昭和11(1936)年、国の名勝・史跡になっています。
武家書院庭園で、池泉鑑賞式庭園となっていて室町期の武家の庭園らしさを今も残しています。また、館跡の裏山には詰城があります。
国の史跡指定は、平成18(2006)年7月28日、「北畠氏館跡庭園」と「霧山城跡」を統合し、指定地域を追加のうえ、「多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡 霧山城跡」の名称であらためて国の史跡に指定されました。
平成29(2017)年4月6日、北畠氏館が続日本100名城(153番)に選定されています。
H17.2.27
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H25.4.13(写真差し替え)
住所: 三重県津市美杉町上多気1148
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