熊本城(熊本市中央区)
加藤清正が築いた天下の名城・熊本城
2005年11月30日
熊本城は、いわずと知れた加藤清正の築いた天下の名城です。大天守・小天守・宇土櫓といった通常の城の天守閣クラスが3つあるというのもすごいです。
熊本城は、最初は隈本城といい、文明年間に肥後守護菊池氏の一族、出田氏が茶臼山に築いたのが始まりです(千葉城)。その後、鹿子木親員が茶臼山西山麓に隈本城を築きました。その後、城氏が居城としましたが、豊臣秀吉の九州征伐後は佐々成政が城主となりました。しかし、肥後国衆一揆の責任をとらされ切腹を命じられ、加藤清正が城主となりました。
清正は天正19(1591)年から茶臼山丘陵から、千葉城、隈本城を取り込んだ壮大な城を築き始め、慶長12(1607)年にほぼ完成させ、隈本を熊本と改めました。
加藤氏は清正の子、加藤忠広が寛永9(1632)年に改易され、細川忠利が入城し、明治維新まで細川氏の居城でした。
明治10(1877)年の西南戦争では、原因不明の出火で大天守・小天守などを焼失しましたが、谷干城の指揮下の元よく戦い、西郷軍は熊本城を落とすことができませんでした。
昭和35(1960)年、鉄筋コンクリート造りの大小天守が再建されました。
平成18(2006)年には日本100名城に指定されました。平成19(2007)年には築城400年祭が行われ、これを機に主要建造物の復元が行われていきました。
平成20(2008)年には本丸御殿が復元されました。
籠城戦に備え、加藤清正が銀杏の木を植えたといわれており、銀杏城ともいわれています。
平成28(2016)年、熊本地震で被災し、多くの石垣が崩落したほか宇土櫓などの文化財建造物、大小天守などの復元建築が被災し、修復が進められています。
平成29(2017)年から天守の復旧に着手、令和3(2021)年には天守の復旧は完了しました。
今後櫓群の解体復旧・修復工事が行われる予定ですが、完全復旧は令和34(2052)年度の見込みです。
開園時間 9:00〜17:00(最終入園16:30)
休園日 年末(12月29日~12月31日)
入園料 大人800円 小中学生300円
H16.9.8
Photo Canon EOS 30D
H20.9.6(写真差し替え)
住所: 熊本県熊本市中央区本丸1丁目
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