大久保利通生い立ちの地(鹿児島市)
加治屋町「英雄地区」・大久保利通生い立ちの地
2005年12月04日
大久保内務卿が庁舎に入ると、雑談はやみ、あたりは水を打ったように静まり返ったといわれています。
子煩悩な私生活とは裏腹に、政治家として大久保利通は厳格さにも、凄味があったといわれています。
幕末激動期に西郷との絶妙のコンビで、明治維新を成し遂げ、新政府樹立後は、天才的な政治手腕で近代国家の建設に着手しました。親友・西郷とも対立しても、その信念を貫き通しました。
大久保は天保元(1830)年、下級役人ながら琉球役人として活躍、学識豊かな利世(子老)を父として高麗町で生まれ、まもなくここ加治屋町に移りました。3つ年上の西郷とは、薩摩独特の郷中教育の中で、兄弟以上の信頼で結ばれていました。
15歳で記録所書役助として出仕。お由羅騒動では、父が遠島、利通も謹慎となりどん底の暮らしを体験します。その後、島津斉彬が藩主となり復活しました。斉彬亡き後も、藩の実権を握った・久光に信頼され、精忠組のリーダーとして薩摩藩を倒幕の中心勢力に育てあげたのです。
西郷を嫌った久光を説得し、流刑地から呼び戻したのも大久保の力だといわれています。
(現地説明板などより)
維新ふるさと館の隣接地に石碑が建っています。実際の生誕の地は高麗町ですが、「生い立ちの地」に建っている石碑は「大久保利通君誕生之地」となっています。隣には大久保利通の次男にあたる「牧野伸顕誕生之地」の石碑もあります。牧野伸顕は生後間もなく利通の義理の従兄弟にあたる牧野吉之丞の養子となり、外交官から閣僚を歴任し、のち内大臣となりました。
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Photo SONY NEX-7
H26.7.20(写真差し替え)
住所: 鹿児島県鹿児島市加治屋町
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