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仙巌園〔磯庭園〕・集成館反射炉跡(鹿児島市)

仙巌園〔磯庭園〕に残る集成館跡の「反射炉跡」
2005年12月04日
仙厳園入口から尚古集成館・駐車場にかけての一帯は、幕末、薩摩藩主島津斉彬が築いた工場群「集成館」の跡地で、国の史跡文化財に指定されています。反射炉跡や機械工場(現尚古集成館本館・重文)、工場の動力用水路跡が現存し、さらに地中には多くの遺構・遺物が眠っています。
斉彬は、植民地化政策を進める西欧列強のアジア進出に強い危機感を抱いていました。日本が植民地にされないためには、日本を西欧諸国のような強く豊かな国に生まれ変わらせなければならないと考え、嘉永4(1851)年薩摩藩主に就任すると、「集成館事業」という富国強兵・殖産興業政策を推進しました。「集成館」はその中核となった工場群の総称で、鉄製砲を鋳造する反射炉、反射炉に鉄を供給する溶鉱炉、砲身を穿つ鑽開台、蒸気機関の研究、ガラス工場などがあり、最盛期には1,200名もの人が働いていました。
安政5(1858)年斉彬が急死すると、集成館は大幅に縮小され、文久3(1863)年の薩英戦争でイギリス艦隊の攻撃を受け焼失しました。しかし、斉彬の弟久光と、久光の長男で家督を継承した忠義の手で集成館は復興され、薩摩藩は日本最高水準の技術力・工業力を持つにいたりました。そして、明治維新の際はその威力が発揮されました。
明治4(1871)年、集成館は官有となりました。明治10(1877)年、私学校生徒がここを襲撃して西南戦争が勃発、政府軍がすぐに奪還し、再奪還を図る西郷軍と攻防戦を繰りひろげたため、多くの工場が焼失し荒廃しました。戦後、民間に払い下げられましたが振るわず、大正4(1915)年廃止されました。
反射炉は鉄製の大砲を鋳造するために築かれたものです。嘉永5(1852)年に反射炉(1号炉)の建設に着手しました。この1号炉は、炉が傾き、耐火レンガが崩れ落ちるなどして失敗したため、その海手に2号炉を建設させました。2号炉は安政4(1857)年完成し、鉄製砲の鋳造に成功しました。
この石垣は2号炉のもので、1号炉の失敗を教訓に頑丈に造られています。また石垣に開けられた穴は湿気を取り除くためのものです。石垣は1.5mほど埋没しており、本来の高さは4mを越え、この上に高さ15~20mほどの炉がそびえていました。また、石垣の上部には2号炉の基礎部分がきれいに残っています。
なお1号炉は、2号炉の奥、反射炉跡の石垣が建っている辺りにあったと推定されています。
また、反射炉を中心に溶鉱炉やガラス工場など様々な工場が整備され、これらの工場群は「集成館」と命名されました。
薩英戦争では、イギリス艦隊7隻を相手に、ここで造られた大砲が大活躍しましたが、その後解体され、現在は基礎部分だけが残されています。
(現地説明板などより)

H16.9.9
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.1.29(写真差し替え)
住所: 鹿児島市吉野町9700-1

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