吹屋ふるさと村・笹畝坑道(高梁市・旧成羽町)
吉岡(吹屋)銅山は、大同2(807)年に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に関する記載がありますが、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代尼子氏と毛利氏の争奪戦以来、江戸時代初期一時、成羽藩の支配下にあったが、大部分の間は、天領幕府直轄地で代官の支配下で稼いでいた。長い歴史のなかで繁栄期は、次の三期でした。
元禄年間(1690年頃) 経営者・泉屋(住友) 継続年数=35年
享保~天保年間(1716~1842) 経営者・福岡屋(大塚) 継続年数=2回で107年。
明治~昭和年間(1873~1930) 経営者・三菱(岩崎)継続年間=57年。
江戸時代の採掘は手掘りで、鉱区も小範囲でしたが、坑内の排水が非常に困難であり水抜き坑道を掘り抜いた時期が繁栄しました。
明治以後三菱金属株式会社の経営になり、附近の小山を吸収合併し、自家発電所を設け、削岩機を使い精錬等の作業を機械化し日本で初めて洋式溶鉱炉を造り、日本三大鉱山の一つとなりました。
この鉱山は笹畝と称し支山でしたが、後年は地下で本坑道(坂本)と連絡しています。
ここでは、黄銅鉱、磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)が産出された。特に江戸時代にはこの地から馬の背に乗せて成羽町下原の総門まで運ばれ、高瀬舟で玉島港まで行き、海路を利用し大坂の銅役所へ運ばれました。
笹畝坑道は、吹屋銅山の採掘風景を当時のままに再現した観光坑道です。
ヘルメットをかぶって入りました。
入場時間 9:00~17:00(12~3月は10:00~16:00)
入場料 大人300円、小人150円
周遊券 4施設(郷土館、旧片山家住宅・ベンガラ館・笹畝坑道・広兼邸)
大人850円 小人400円
H16.6.11
Photo Canon EOS M3
H28.10.9(写真差し替え)
住所: 高梁市成羽町吹屋1987
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