咸宜園(日田市)
咸宜園は、幕末の儒者広瀬淡窓の私塾です。
高野長英や大村益次郎などもこの咸宜園で学びました。
淡窓は、文化2(1805)年、24歳の時豆田町の長福寺を借りて開塾しましたが、その2年後に桂林荘を中城川の側に立ててそこに移りました。
その後、文化14(1817)年に日田郊外の堀田村の伯父月化の住居である秋風庵の西隣の地に桂林荘を移築し、「西塾」とし、また住居「西家(考槃楼)」を建築したことに始まります。
以後塾の発展により建物が増築されました。
秋風庵は天明元(1782)年に俳諧の師匠であった伯父月化が隠居の住居として建築したもので、淡窓も2歳から6歳までここで伯父夫婦に養育されました。
文政4(1821)年に塾舎が増えたため東塾(後の講堂)を建築し、文政6(1823)年には新塾(後の東塾)を建築しました。
文政9(1826)年には西家の中に書斎「淡窓」を、文政13(1830)年には書斎「醒斎(2階)・夜雨寮」を建築しました。天保5(1834)年には父桃秋が亡くなったため、父の居宅であった「長春庵(伯父月化の死後「秋風庵」の名称を改め、父が居住していた)」に居を移しました。弘化4(1847)年に新塾(南塾)を、嘉永2(1849)年には書斎「遠思楼」を建築しました。
現在は、秋風庵と遠思楼及び東塾の資材で造った書蔵庫が現存し、西側には西塾の井戸が残っています。
昭和7(1932)年に国の史跡となっています。
今後、咸宜園教育研究センターがオープン予定の他、東塾及び講堂を江戸時代末期の姿に復元建築する予定で、史跡公園として整備されていっています。
入館無料
開館時間 10時〜16時
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H22.7.18
住所: 大分県日田市淡窓2丁目2−18
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