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生田門〔中津市学校跡〕(中津市)

奥平中津藩家老生田家の門で中津市学校や現在の南部小学校の校門としても使用されている生田門
2010年09月01日
カテゴリ : 大分県 > 観光 > 建物・史跡
南部小学校の校門であるこの「生田門」は、明治時代の廃藩置県後「中津市学校」の校門としても利用されました。もともとは、奥平中津藩家老生田家の門でした。
南部小学校の周辺な江戸時代には中津城の三の丸で、藩主の一族や家老などの屋敷が建ち並んでいました。
南部小学校の敷地は、「大手屋敷」と呼ばれた家老の生田家(1800石)の屋敷と、隣の「中の屋敷」と呼ばれた奥平図書(2600石)の屋敷があった場所の一部を含んでいます。
明治4(1871)年、福沢諭吉の建議により、「大手屋敷」に西日本有数の英学校である中津市学校が創立されました。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で有名な『学問のすゝめ』は、この市学校を創立するときに、中津の青少年に学問の重要性を説くために福沢諭吉によって書かれたもので、翌年刊行され大ベストセラーになりました。
市学校の組織づくりには福沢諭吉、小幡篤次郎などがかかわり、学校の規則はすべて慶應義塾の規則に従って定められ、教員は主に慶應義塾の中津出身者が派遣されました。明治6(1873)~9(1876)年には、生徒数が600名ほどにもなったと言われています。
廣池千九郎の「中津歴史」に中津の西洋風の文化・生活様式の出発点は常に市学校であったと言われます。
西南戦争とその後の経済情勢は中津市学校の生徒数の減少をもたらし、学制の整備に伴う公立学校の充実なども加わり、市学校は徐々に衰退し、ついに明治16(1883)年3月に閉校しました。
市学校閉校後、いろいろな学校として変遷を重ね、明治43(1910)年4月1日、南部小学校が開校し、以降生田門は同小学校の校門として長く利用され親しまれています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H22.7.19
住所: 大分県中津市三ノ丁1309

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