中津城(中津市)
黒田如水が築城した日本三大水城・中津城
2010年09月01日

中津城は、周防灘に臨む山国川の河口に築かれた平城で、扇形の縄張りから扇城ともいわれています。
また、今治城、高松城と並ぶ日本三大水城の一つともいわれます。
天正15(1587)年、豊臣秀吉による九州征伐の軍功により豊前国6郡16万石を与えられた黒田官兵衛孝高(如水)が翌天正16「1588」年、築城に着手しました。
しかし、領内には黒田氏に服属しない城井(宇都宮)鎮房との戦いに苦戦し、宇都宮鎮房と和議を結んだ後、鎮房を謀殺しました。
黒田如水が隠居後、黒田長政が城主となりました。
慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは、家康に従い出陣した長政が本戦で活躍しましたが、如水は兵をかき集め旧豊後国主大友吉統を石垣原の戦いで破るなど九州を手中に収めるなど活躍しました。戦いの後黒田氏は筑前名島(後福岡)に移封され、丹後田辺から細川忠興が豊前一国と豊後二郡32万石を与えられて中津城主となると、城の大修築を行いました。
しかし、忠興は慶長7(1602)年から小倉城の築城にとりかかり、小倉城の完成とともに小倉城に居城を移しました。その後は忠興の子細川興秋、細川忠利が城主となりました。
元和7(1621)年、細川忠興は隠居して三斎と号し、嫡男の忠利に家督を継がせ、自らは中津城を隠居城としました。
寛永9(1632)年、細川忠利が肥後熊本へ転封となり、忠興も肥後八代城に移りました。代わりに播州龍野から小笠原長次が8万石で中津城主となりましたが、享保2(1717)年小笠原長邕が夭折し、無嗣子のため改易されました。
小笠原氏の後、丹後宮津から奥平昌成が入封し、明治維新まで中津城は奥平氏の居城でした。
明治4(1871)年、廃藩置県の際に御殿を残して建造物は破却されました。明治10(1877)年には御殿も西南戦争の際増田宗太郎の中津隊の襲撃により焼失しました。
昭和39(1964)年、旧藩主奥平家と市民等の寄付により模擬天守が建造されました。
しかし、平成19(2007)年には土地、建物を所有する中津勧業(旧藩主当主が代表取締役)が売却する方針を示し、中津城の将来は不透明です。
城内には城井(宇都宮)鎮房を祀る城井神社、その家臣を祀る扇城神社、奥平家先祖の貞能、信昌、家昌、仙丸(仙千代)を祀る奥平神社、伊勢神宮を分霊した中津大神宮など多くの神社があります。
平成26(2014)年、黒田如水を題材にした大河ドラマ「軍師官兵衛」が放送されること二なり、中津市の全面協力において城内を再整備され城内に如水の石像としては初めて「黒田如水石像」が建立されました。
平成29(2017)年、 続日本100名城(191番)に選定されました。
(中津城天守閣)
入場料 高校生以上 400円 中学生以下200円
開館時間 9:00~17:00
休館日 年中無休
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H22.7.19
住所: 大分県中津市二ノ丁本丸
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