重光家(杵築市)
第二次世界大戦中の外務大臣重光葵の生家・重光家
2010年09月05日
重光家は杵築市の郊外にある第二次世界大戦中の外務大臣重光葵の生家です。
重光家の先祖は、藤原貞周といわれ、五代目になり大友氏に従い豊後に来ました。
その後、文禄2(1593)年の大友氏の滅亡により国東半島に移り、庄屋となりました。
文化13(1816)年に、杵築藩松平氏に出仕し代官となりました。
重光葵は、重光直愿と松子の子として生まれました。11歳で母の実兄重光彦三郎の養子となり、重光本家を 嗣ぎましたが、杵築市大字本庄の実家で育てられました。
外交官として活躍しましたが、昭和7(1932)年には、上海天長節爆弾事件で右足を失いました。
第二次世界大戦中には外務大臣となり、ミズーリ号での連合国への降伏文書に調印しました。
戦後は戦犯となり服役しましたが、再び鳩山内閣で国連への加盟などに力を尽くしました。
生家は、平成5(1993)年から一般公開されています。
開館時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
休日 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)
料金 150円(小・中学生は80円)
共通観覧券(杵築城・大原邸・磯矢邸・佐野家・きつき城下町資料館・一松邸・重光家)
個人 1,200円(小・中学生は600円)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H22.7.19
住所: 大分県杵築市大字本庄893番地1
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