川越城(川越市)
川越野戦の舞台・本丸御殿の残る川越城
2006年01月15日

川越城は、関東管領の扇谷上杉持朝が関東を支配する拠点として、長禄元(1457)年太田道真(資清)・道灌(持資)に築城させた城です。
当時、持朝は山内上杉房顕と連合し、古河公方足利成氏と北武蔵の覇権をめぐって攻防を繰り返していました。
築城は扇谷上杉領の北端の拠点とするためと考えられます。
小田原を拠点に武蔵への進出を図る後北条氏は、天文6(1537)年に川越城を攻め落としました。
天文15(1546)年、扇谷上杉氏は当時対立していた山内上杉氏・古河公方と共に、川越城奪還を図りましたが、後北条軍の奇襲にあって大敗し(川越合戦)、後北条氏は北武蔵への支配を固めていきました。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の関東政略に際し、川越城は前田利家らに攻められて降伏しました。
同年8月、徳川家康が江戸城に入ると、江戸に近い川越城には重臣酒井重忠を置き、その後も幕府の有力な大名達が川越領を持つことになりました。
寛永16(1639)年、川越城主となった松平信綱は川越城の拡張整備を行い、本丸・二の丸・三の丸・追手曲輪・新曲輪などの各曲輪、三つの櫓、十三の門からなる、総面積約9万9千坪(32万6千㎡)余りの規模を持つ巨大な城郭になりました。
江戸時代における城主は、酒井・堀田・松平・柳沢・秋元・松平の諸侯で太田氏の築城以来420余年を経た明治4(1871)年、ついに廃城となり、建物の大部分は解体撤去されました。
現在ある建物は、弘化3(1846)年、二ノ丸御殿が火災で焼失してしまったため御殿を再建することになり、嘉永元(1848)年、時の城主松平大和守斉典が造営したものです。
明治4(1871)年の廃城後は、廃藩置県により川越県に続いて入間県ができると、川越に県庁が置かれ、本丸御殿の玄関と広間部分はその庁舎として利用されることになりました。また、この頃広間の南西側に建物が増築されましたが、これは南側にあった大書院などの部材を再利用して建てられたものと考えられています。
入間県はすぐに熊谷県、埼玉県と変わったため、県庁は移転し、本丸御殿は入間郡公会所になりますが、大正7(1918)年、専売局淀橋専売支局川越分工場として煙草工場になりました。
昭和8(1933)年には初雁武徳殿として武道場となり、戦後は市立第二中学校(現川越市立初雁中学校)の仮校舎・屋内運動場として使われ、その後は再び武道場となります。
昭和42(1967)年には川越城本丸御殿修理工事として、大規模な修理工事を実施し、屋根の修理や間取りの復元を行い、現在のような公開施設になりました。
大唐破風造りの玄関、大広間そして櫛形塀のみを残すだけですが、川越藩が17万石を有した時の建物の主要部分で、県内唯一の城郭建築の遺構として重要なものです。
平成18(2006)年、日本100名城に選定されています。
(現地説明板などより)
本丸御殿
開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日(休日の場合は翌日の火曜日)
年末年始(12月28日〜1月4日)
入館料 一般100円 高大学生50円
川越市立博物館、川越市立美術館との3館共通入場券
一般370円 高大学生180円
川越市立博物館、川越市立美術館、川越まつり会館との4館共通入場券
一般600円 高大学生400円
H14.3.2
Photo SONY NEX-7
H25.7.15(写真差し替え)
住所: 埼玉県川越市郭町2丁目13番地1
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