馬伏塚城(袋井市)
高天神城の攻略拠点となった馬伏塚城
2011年05月23日
馬伏塚城の築城時期は不明ですが、文亀元(1501)年に遠江国守護であった斯波氏と駿河国守護であった今川氏が遠江国の支配権を巡って中遠地域で激しい戦闘が繰り広げられたときに、今川氏の拠点として座王城(袋井市)、天方城(森町)と共に登場しており、この時に城塞としての機能を果たしていたことがわかります。
城主として確かな史料に登場する最初は、今川氏の重臣で遠江小笠原氏と呼ばれる小笠原春茂(春義、春儀)とその子の氏興(氏清)であり、高天神城の城主も兼ねていたとされています。
今川氏が滅亡すると、小笠原氏は徳川家康の配下となります。天正2(1574)年6月17日、南遠地方の要であった高天神城が落城し、徳川方から武田勝頼の手に支配が移ると、家康は馬伏塚城を高天神城攻略の作戦本部と位置づけ、8月1日から大改造を行って現在の岡山集落全域を取り込む城郭に造り上げました。
城主には家康の重臣である大須賀康高をおき、天正9(1581)年に高天神城が落城するまで、天正6(1578)年に築かれた大須賀城と共に戦略上重要な位置を占めます。
しかし、徳川家康による遠江支配が安定する天正10(1582)年にはその役割を終えて廃城となり、跡地に岡山村が形成されていきました。
現在も小字名として残る破城(羽城)は、城打ち壊しの儀式が地名として残ったものと考えられます。城名の馬伏塚城の読み方は「まむしづか」、「まぶせづか」と両方ありますが、現在では一般的に「まむしづか」と読んでいます。
(説明看板などより)
城跡は、諏訪神社となっています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.5.5
住所: 静岡県袋井市浅名1156
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