井伊谷城(浜松市北区・旧引佐町)
井伊谷城(井伊城)はこの城山の南麗にあり、本丸、二の丸、三の丸に分かれ井伊家の居城でした。
井伊氏は、平安時代の在庁官人からはじまり、中世には国人領主として、浜松市北区一帯(引佐、細江、都田)などを治めました。
南北朝の動乱期(1336〜1392)には、この地に宗良親王(後醍醐天皇の皇子)を迎え、
南朝方の活動拠点としました。
延元元(1337)年遠江介井伊道政が後醍醐天皇の皇子宗良親王をお迎えしてより、元中2(1385)年8月10日宗良親王がこの地で甍去されるまで約50年、親王は京都と鎌倉の中間であるこの井伊城を本拠として、駿河、甲斐、信濃、越中、越後、上野の国々を転戦されました。
平時にこの城山の御所の丸に居られ
夕暮れは湊もそことしらすげの
入海かけてかすむ松原
はるばると朝みつしおの湊船
こぎ出るかたは猶かすみつつ
の御歌が残されています。
戦国時代には当地の支配権を巡って、今川、武田、徳川の各勢力が争い、当主である井伊氏は大きく翻弄されました。
とくに、永禄5(1562)年に井伊直親が謀殺された後には適齢の男子がなく、井伊氏は存亡の危機を迎えました。
この時に、城主としてふるまったのが、女性領主、井伊直虎です。
天正3(1576)年直虎は直親の子である虎松(のちの井伊直政)を徳川家康に引き合わせ、
井伊氏再興の道を開きました。
城山の一段高い所が御所丸跡で井の宮石陵があり、宮入御表門跡、搦手門跡等があります。また東山麓には宗良親王を祭る二宮神社、親王の御念持仏を祭る足切観音堂があります。
(説明看板などより)
平成29(2017)年の大河ドラマ「おんな城主直虎」の第1回「井伊谷(いいのや)の少女」の直虎紀行で紹介されました。
城山には多目的研修センターの駐車場から登っていきます。城山公園として整備されていて、登城はしやすいです。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.5.6
住所: 浜松市北区引佐町井伊谷
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