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古麓城〔八代城〕(八代市)

名和氏、相良氏の居城だったかつての八代城・古麓城
2011年09月26日
カテゴリ : 熊本県 > 観光 > 建物・史跡
古麓城はかつては八代城と呼ばれていました。
建武元(1334)年に名和義高が八代荘の地頭に任ぜられ、翌年には代官として一族の内河義真が下向し、南北朝の騒乱に備えて築城したと伝えられます。
古麓城は、居城飯盛城のほか丸山城、鞍掛城、勝尾城、詰めの城の八町嶽城の五城群からなっていました。
古麓城を中心に八代を治めていた名和氏と、人吉・球磨地方を拠点とする相良氏は、交通の要衝である八代地域をめぐって争っていました。
室町時代の文明16(1484)年に相良為続は古麓城を落城させて名和氏を追放しましたが、明応8(1499)年に肥後国守護職の菊池能運の援助によって名和顕忠が八代に復帰しました。
しかし、永正元(1504) 年に相良長毎が古麓城に入城して八代を領地とし、天文3(1534)年に相良長唯によって城の大規模な整備と城下町の整備が行われました。相良氏の時代に新たに鷹峰城・新城が築かれました。
天正9(1581)年 には響野原で相良義陽が戦死して島津氏の領地となり、天正10(1582)年に島津氏は肥後に侵攻し、島津義弘を守護代に据え、古麓城には平田光宗が常駐することとなりました。
しかし、天正15(1587)年の豊臣秀吉による九州攻めの後、肥後は佐々成政の領地となりましたが、佐々成政は国衆一揆の責を負わされて切腹しその後、八代は小西行長の領地となりました。
行長は城を球磨川対岸の麦島に移したため、古麓城は廃城となりました。
(説明看板などより)
登ったのは新城で、春光寺から登ってみました。

Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.9.16
住所: 熊本県八代市古麓町

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