麦島城〔八代城〕(八代市)
小西行長、加藤清正の支城だった麦島城(八代城)
2011年09月27日
麦島城は、天正16(1588)年、肥後南半国24万石を与えられ宇土城に入った小西行長が、家臣・小西行重(末郷)に命じて築かせた城です。
慶長5(1600)年、関ヶ原合戦の後、八代は加藤清正の治めるところとなり、麦島城も加藤氏の支城となりました。
支城となった麦島城は、加藤氏により改修が行われました。慶長8(1603)年には麦島城下でキリスト教徒の殉教がありました。
元和元(1615)年、大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡すると、一国一城令がでましたが、肥後国の加藤領は例外として熊本城と麦島城の二城が残されました。麦島城は、加藤正方が城代をつとめていた元和5(1619)年、大地震により麦島城は倒壊し、熊本城主・加藤忠広は替わりに八代城(松江城)を築き、麦島城を廃城としました。
平成8(1996)年から平成15(2003)年にかけて行われた発掘調査では麦島城の規模が東西約400m、南北約350m、本丸は約130m四方あることが解明され、小天守跡では豊臣秀吉の許可が必要だった金箔鯱瓦や、小西行長が文禄の役の時に釜山から持ち帰った「隆慶二年」(中国の年号で西暦1568年)の年号がある滴水瓦が見つかりました。また、二ノ丸跡では平櫓と見られる建物が倒壊した状態で見つかりました。
(説明看板などより)
天守台跡に標柱と説明看板が立っています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.9.16
住所: 熊本県八代市古城町
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