本光寺(島原市)
島原藩主深溝松平氏の菩提寺・本光寺
2011年10月12日
本光寺は、山号は瑞雲山、曹洞宗の寺院です。
深溝松平氏の出身地である三河国額田郡深溝(現在の愛知県幸田町付近)にあったと伝えられています。
その前身は、今川義元の菩提寺で室町時代に建立されましたが、今川氏滅亡後の享禄元(1528)年曹洞宗の開祖道元禅師より数えて十五世の希声英音禅師を開山として、また深溝城主松平忠定を開基として字市場(その後、字天王山に移動)に創建されました。
創建後の本光寺は深溝松平氏と一心同体の関係を保ち、松平家の菩提寺として藩主の移封に伴う領地替えの際には、必ず新任地に同道していました。4代松平家忠が忍城主となり易地された後、慶長17(1612)年5代松平忠利公が吉田城に移封され同地二連木(三ノ輪)に移転して深溝に残置した寺を末寺としました。この時代より深溝本光寺は源光寺(後に本光寺と改称)と称して封地における末寺となり、以後、寛永9(1632)年に刈谷、慶安2(1649)年に福知山、寛文9(1669)年に島原、元禄2(1689)年に宇都宮、安永3(1774)年に島原と幾度か転地を繰り返しました。
最後の島原転地後、明治4(1871)年、深溝松平家が神式に改典した結果、広大な伽藍は一時的に学校(本光寺学校)に転用されましたが、明治5(1872)年、本光寺三十一世維尹石厳大和尚の努力によって復旧を図り島原城の北端に位置する末寺浄林寺を合併して現在に至っています。
山門は深溝松平家六代、島原藩に入封した初代忠房が、生母福昌院殿の菩提を弔うため元禄3(1690)年にこの地に建立した浄林寺の山門です。島原城の天守の頂上と、この山門の敷居の高さが同じだとされ天守の上に先祖の墓所を設けたともいわれています。
境内には忠房の子で孝子と讃えられた松平好房の頌徳碑、藩主松平家墓所、十六羅漢石像などがあります。松平家墓所は二代忠雄、初代忠房の聖母、十代忠精夫人などの墓があります。その他の藩主の墓は深溝の本光寺にあります。また、島原城内から移築された常盤御殿などもあります。
(説明看板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.9.17
住所: 長崎県島原市本光寺町3380
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