木山城(益城町)
木山城は、木山氏代々の居城とされ、天文16(1547)年に木山惟貞が赤井城を築城した後は、家老の竹崎筑後をはじめとした城代がおかれたとされています。
天正13(1585)年9月13日の木山神宮例祭の日に薩摩島津氏に攻められて赤井城と同時に落城したと伝えられていますが、「新撰事蹟通考」には小西行長時代にも伊藤與左衛門が城代として入城した旨が記されています。
なお、「阿蘇家文書」康永3(1344)年10月太宰少弐頼尚の書状から、木山城は「松丸城」と称せられた時期があったことがうかがえます。
木山城は木山中心部に位置し、肥後進出を図る勢力にとっては政局を左右する要衝として幾度となく攻防が繰り返されていたといわれています。
木山城跡は、「城の本」という字名を残す帯状形の丘陵地の末端部に位置しています。
丘陵の背面は大きく三区画に分かれており、中央部分に本丸と称される長方形状の高台が存在します。顕著な遺構としては、本丸の西側に竪堀の残存部を有する曲輪が存在し、民家の敷地内にも土塁と空堀が観察されています。
昭和57(1982)年の豪雨で城跡の北側斜面が崩れ、被葬者と副葬品を収めた石棺が現れたことから、縄張りの一部円墳が取り込まれていたことが判明し、「城の本古墳」と名付けられました。
平成4(1992)年より木山城跡公園として整備が進められたところ、平成17(2005)年にその工事現場より再び別の石棺が出土し、「城の本2号墳」として報告されました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.9.18
住所: 熊本県上益城郡益城町大字寺迫
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