城跡があじさいや桜、梅など花の名所下田公園になっている下田城〔鵜島城〕
2006年02月08日
天下統一を進める豊臣秀吉と、小田原城を本拠地とする北条氏の対立が表面化してきた天正16(1588)年、陸の防衛拠点である箱根の山中城(三島市)とともに、 海の防衛拠点として下田城が取り立てられ、伊豆郡代清水上野介康英を城将に大改築が行われました。
城は、海と断崖に囲まれた天然の要害に築かれています。通称天守台跡と呼ばれる高台を中心に、四方にのびた尾根の要所に守備陣地である曲輪や櫓台が設けられ、総延長700mを超える空堀が巡る伊豆半島最大規模の山城です。
天正17(1589)年12月から翌年にかけて、雲見の高橋氏や妻良の村田氏など南伊豆の武士が入城し、小田原からは援将江戸摂津守・検使高橋郷左衛門尉が派遣され、臨戦態勢が整えられていきました。
天正18(1590)年3月、清水湊(江尻)に集結した豊臣方水軍は、長宗我部元親や脇坂安治らが率いる1万人を超える大船団で、西伊豆を制圧しながら下田城に迫りました。圧倒的な 兵力を眼前に、城将清水康英ら600余名の籠城軍は、50日ほど防戦に努めましたが、7月下旬には開城の勧告を受け入れ、城を出ました。
現在、城跡は城山公園になっています。
開国記念碑やカーター大統領の来日記念碑、下岡蓮杖の記念碑など歴史のある町の公園らしい雰囲気があります。
下田公園の駐車場に石碑が、主郭部下には「鵜島城址」の石碑と説明看板が立っています。
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Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
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住所: 静岡県下田市三丁目