韮山城(伊豆の国市・旧韮山町)
北条早雲(伊勢新九郎盛時)の居城だった韮山城
2012年01月04日
韮山城は戦国時代の代表的な平山城として築かれ、築かれた山を通称「龍城山」といいます。
韮山城の最初の築城については明らかではありませんが、「北条五代記」によると、文明年間(1469~1486)堀越公方・足利政知の家臣外山豊前守が城をつくたのが始まりとされています。
その後、延徳3(1491)年、駿河興国寺城にいた伊勢新九郎盛時(北条早雲)が堀越御所の内部の争いにつけ込み、政知の子、茶々丸を滅ぼして伊豆の領主となり、明応2(1493)年に韮山城を本格的に築城したといわれています。早雲はこの地を本拠地として小田原城を奪い、後に韮山にもどり、永正16(1519)年に88歳(ただし諸説有り)で没するまで33年間ここに住みました。
現在の韮山高校の校舎の付近を今も御座敷といい、早雲の居館跡といわれています。
小田原に本拠を移してからも北条氏の西の守りとして韮山城は重きをなしました。永禄末年には時の当主・北条氏康の四男・氏規が城主として入り、伊豆支配の中心地としました。天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原征伐のときは、三千余の将兵をもって4万を超える軍勢に対し約3ヶ月この城を守り通しました。
北条氏規が城を退いた後、徳川家康は内藤信成を城主としていましたが、慶長5(1600)年に移封により韮山城は廃城となりました。山の高い所に本丸、次いで二の丸、権現平、三の丸、塩蔵跡や土塁、空掘、内堀などが残っています。また、周辺には本城を囲むように「土手和田砦」「和田島砦」「天ヶ岳砦」「江川砦」が有り現在も曲輪や土塁が残っているそうです。
(説明看板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.12.28
住所: 静岡県伊豆の国市韮山韮山
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