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小田原城・小峯の大堀切〔小峯御鐘ノ台大掘切〕(小田原市)

小田原城総構の残存遺構としては最大の小峯の大堀切〔小峯御鐘ノ台大掘切〕
2012年01月09日
小田原北条氏時代の小田原城は、全国でも稀に見る規模の大きな縄張りを持った城郭として知られています。
その構築法は、内城(本丸・二の丸・三の丸等)と城下町を囲んだ大外郭を設けて、城下町を戦禍から保護するとともに、城外に雄大な防禦線を張ろうとする構えで、当時これは「総構」「総曲輪」と呼ばれ、また大外郭は土塁とその外堀とで作られているところから「総堀」ともいわれています。
小田原城総曲輪は、おそらく小田原北条氏三代氏康の永禄年間頃からつくり始められ、上杉謙信、武田信玄による再度の来攻の経験などにより次第に拡大され、五代氏直の時、豊臣秀吉の小田原の陣が始まる直前の天正18(1590)年早春に完成したものと思われます。
小峯の大堀切(小峯御鐘ノ台大掘切)は、東堀、中堀、西堀の3本からなる戦国時代に構築された空堀です。
北条氏は、天正18年(1590)年の豊臣秀吉の小田原攻めに対して、総構といわれる周囲約9kmの堀や土塁を構築し、その中に城のみならず城下町までを取り込んだ戦国最大級の城郭を築きました。
この大堀切東堀は、総構以前に構築された三の丸外郭に相当し、本丸へと続く八幡山丘陵の尾根を分断しており、敵の攻撃を防御するために築かれた空堀です。小田原城中にある三丘陵即ち、谷津丘陵・八幡山丘陵・天神山丘陵の分岐点であり、総構とともに小田原城の西側を守る最も重要な場所であったと考えられます。
この空堀・土塁は小田原城の残存遺構の中で最大のものです。
東堀は幅が約20m〜30m、深さは堀底から土塁の上面(天端)まで約12〜15mあり、堀の法面は50〜60度という急な勾配で、空堀としては全国的にも最大規模のものといえます。
発掘調査によると、堀には堀障子や土橋状の堀り残し部分の他、横矢折れとよばれるクランク部分などが設けられていることが確認されました。こうした堀の構造は北条氏が積極的に用いたもので、戦国時代の小田原城の特色をよく表しています。
(説明看板などより)

Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H23.12.29
住所: 神奈川県小田原市城山3

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