旧長谷川治郎兵衛家(松阪市)
内部は残念ながら非公開・長谷川邸
2012年04月12日

旧長谷川治郎兵衛家は、魚町一丁目の「丹波屋」を屋号とする松阪屈指の豪商、長谷川治郎兵衛家の本宅です。長谷川家は、江戸時代以来、三井家・小津家・長井家等とともに、松阪を代表する江戸店持ちの豪商です。
創業の祖とされる3代政幸は、延宝3(1675)年30歳で独立、丹波屋次郎兵衛を名乗り江戸大伝馬町一丁目で木綿仲買商を始め、貞享3(1686)年に木綿仕入問屋になりました。
しかし、創業後政幸は松阪へ戻り、江戸店の経営はすべて支配人に任せています。
そして、松阪木綿を中心とする伊勢国産の木綿や、尾張・三河国産の木綿を松阪本家で仕入れ、これを江戸店で販売など木綿ひとすじに江戸時代を歩んできました。
その後、分店として元禄15(1702)年に本店の隣へ新店、天明3(1783)年には繰綿を商う向店(次郎吉店)を開業しました。
また、分家の大手町の武右衛門家(南家)を「亀屋」、紺屋町の六郎次家を「戎屋」の屋号でもって、相次いで江戸大伝馬町へ開店しました。こうして、江戸店は合わせて5店舗になりました。
松阪においては、紀州藩の御為替組御用を勤めながら、士分格で苗字、帯刀を許された「独礼格地士」として五十人扶持を下賜されていました。
長谷川家は明治維新の激動期も堅実な経営手腕で乗り越えました。そのあと、明治42(1909)年にガラス店を開業、大正4(1915)年に東京の5店舗を統合して大正7(1918)年に株式会社長谷川商店となり、戦後、現在の「マルサン長谷川株式会社」という社名になりました。
長谷川家の広大な屋敷構えは、その長い歴史の中で隣接地の買収と増築を繰り返し形成されたもので、近世から近代にかけて商家建築の変遷をたどることができます。
正面外観は建ちの低い、つし二階建てで、袖壁の上に立派な本うだつが上がっています。左手に表蔵を見ながら玄関をくぐると、奥に向かって通り土間が続き、奥に土蔵がさらに4棟、最も古い大蔵、左に米蔵、大蔵の右手に新蔵と西蔵が並んでいます。長谷川家には、建物群のみならず、創業以来大切に保管されてきた商業資料、古文書、蔵書類及び商業関係の諸道具、生活用具など、膨大な資料が良好な状態で保存されています。
土蔵の裏手には、町境でもある背割排水が流れ、その奥には池を中心とした回遊式庭園が広がっています。ここは、以前、紀州藩勢州奉行所があった地で、明治初年に長谷川家が購入し、庭園の他に離れや茶室、四阿(あずまや)などをつくりました。旧長谷川治郎兵衛家は、平成28(2016)年7月25日、国の重要文化財(建造物)に指定されました。
また、平成27(2015)年3月5日には、県の史跡及び名勝に指定されています。
(現地説明板より)
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
入場料 一般320円 6歳以上18歳以下 160円
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H24.3.8
住所: 三重県松阪市魚町1653
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