柳川藩主立花宗茂の正室誾千代の墓碑〔ぼたもちさん〕(長洲町)
腹赤の地で亡くなった立花宗茂の正室誾千代の墓碑
2012年10月05日
誾千代の父、戸次道雪と宗茂の祖父吉弘鑑理は、豊後の戦国大名、大友宗麟の有力な家老でした。
宗麟は、筑前、筑後を固めるために鑑理の子高橋紹運を宝満山城主に、戸次鑑連(立花道雪)には立花城主を命じました。
天正9(1581)年、紹運の子統虎を娘誾千代の婿養子に迎えました。それが立花宗茂です。
宗茂は、関ヶ原の戦いで石田三成に味方したため領地を没収されてしまいましたが、加藤清正の取りなしで助命となり、一時高瀬(現在の玉名)に滞在し、その後熊本へ、更に江戸へ移り住みます。
この高瀬滞在の時に、誾千代がなぜ腹赤の地に来て阿弥陀寺に寄寓しました。そして宗茂と別居して生活しますが、慶長7(1602)年壬寅10月17日、この地で亡くなりました。法名は光照院殿泉誉良清大姉です。
宗茂は元和6(1620)年、旧領の柳川領を再び与えられます。そして寛永11(1634)年に誾千代の墓を造らせています。その後、改修したと思われますが、墓の頭部が「ぼたもち」の型に似ているので地域の人々からは「ぼたもちさん」の愛称で呼ばれています。
昭和56(1981)年5月、長洲町の文化財に指定されています。
(説明看板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
Photo SONY NEX-7
H24.9.2
住所: 熊本県玉名郡長洲町腹赤
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