小谷城(長浜市・旧湖北町)
小谷城は浅井三代、亮政、久政、長政の居城として知られる山城です。
大永4(1525)年、浅井亮政が築いたとされます。その後、亮政・久政・長政と浅井氏3代に渡り、拡張整備されました。
永禄4(1562)年、浅井長政は織田信長の妹お市の方を妻に迎え、織田家と縁戚関係を結びましたが、信長が元亀元(1570)年に越前の朝倉義景を攻めた際、信長と敵対関係に入りました。この年の6月、姉川の合戦で浅井・朝倉連合軍は、織田・徳川連合軍の前に敗北しました。
天正元(1573)年に、織田信長は小谷城を攻めました。信長はその際、援軍に来た朝倉勢を破り、一乗谷まで追撃し朝倉氏を滅亡させました。そして、再び小谷城を総攻撃し、浅井久政、長政は自刃し小谷城は落城しました。その後、伊香郡・浅井郡・坂田郡は羽柴秀吉に与えられ、小谷城に入城しましたが、天正3(1575)年に今浜に長浜城を築城し本拠としたため小谷城は廃城となりました。
昭和12(1937)年に国の史跡となり、平成18(2006)年に日本100名城に指定されました。
小谷山全山にわたり造られた曲輪は1,000箇所もあるそうです。
春日山城、七尾城、小谷城、観音寺城、月山富田城を日本五大山城というそうです。
結構登城には体力がいる城です。
駐車場:登山口、中腹の番所跡近く、小谷城戦国歴史資料館にあり。山城の雰囲気を味わうなら、登山口から歩いて登ることをお勧めします。
アクセス:北陸道長浜IC~R365など
H18.3.18
Photo Canon EOS 30D
H20.10.12
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