下山城〔本国寺〕(身延町)
下山氏、穴山氏の居城だった下山城
2013年07月06日
下山城は、下山氏の館で後室町時代には穴山氏の居城となりました。
甲斐源氏・加賀美遠光の孫光重は建仁年間(1201~4)下山に入部し下山小太郎光重と称しました。
室町時代に入り応永25(1418)年の頃武田氏の一族穴山氏が河内に入部し、河内領に移った穴山氏は南部地方に在地した後、下山氏の館跡に本拠を移しました。
穴山氏は、武田氏の御親類衆として重きをなし、穴山信君(梅雪)は特に高名です。武田氏滅亡の際には、信長、家康に従いましたが、本領安堵の御礼に安土城に赴き、京や堺を回っていましたが、本能寺の変が勃発し、本領に引き上げる途中飯岡で土民の襲撃により殺されました。その後は嫡男の勝千代(信治)が嗣ぎましたが、夭折し穴山氏は断絶してしまいます。
本国寺は山号は長栄山、日蓮宗旧久遠寺派の寺院です。
下山光重の子・兵庫介光基は文応元(1260)年、下山城の館の傍に一寺を創し、平泉寺と称し弥陀を安置しました。
光基の子・次郎は入道し後に因幡房日永と称し比叡山修学のみぎり最連房日浄上人と相知り、文永12(1275)年最連房上人が身延山へ参る途次、この館に一泊し、因幡房もともに身延山へ登りました。
ここにおいて弥陀を離れ、法華に帰しました。しかし、父光基はこれに従いませんでしたが建治3(1277)年6月日蓮聖人は「下山消息」を著して光基に寄せられました。これにより日蓮聖人の門下となって法重房日芳の名を賜わり、山号寺号の両号を現称に改めました。
当寺と穴山氏との関係は深く境内にある穴山八幡神社は穴山信君(梅雪)を祀っています。
境内はお葉付きイチョウがありました。
弘安5(1282)年秋深い日、日蓮聖人持病いよいよ重くなり、常陸へ湯治にと向う途中本国寺一泊したとき一本の銀杏を植えられたのが現在の国指定天然記念物本国寺のお葉付きイチョウです。
(現地説明板などより)
Photo SONY NEX-7
H25.6.15
住所: 山梨県南巨摩郡身延町下山2271
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