大安寺跡・大久保石見守墓(大田市)
大安寺跡にある大久保石見守長安逆修墓
2014年02月12日
大安寺は、浄土宗鎮西派の寺院でした。
大久保石見守長安の菩提寺として慶長10(1605)年に建立されたと伝えられています。境内地の墓石は115基あり、寺の創建年と一致するものもあります。
その後、建物は明治8(1875)年に再建され、昭和18(1943)年の水害で大破し、極楽寺に合併しました。石段を上がるとすぐに「大久保石見守墓所」と書かれた標石があり、石段の奥には「正覚山大安寺」の標石があります。
大久保石見守は名を初め「藤十郎」といい、のち「長安」に改めました。甲州(山梨県)にいた関係で鉱山に明るい長安は慶長5(1600)年秋、徳川家康の命令で石見銀山に派遣されました。
翌慶長6(1601)年、長安は石見国97,800石の初代奉行に就任し、それまでの銀山発掘を竪堀りから坑道掘り(横掘り)に改めました。
数多くの坑道掘りの中で、釜屋間歩を掘りあてて3,600貫(13.5t)の運上銀(上納銀)を産出して石見銀山の最盛期をつくりました。
慶長7(1602)年7月、長安は石見守に任じられ、従五位下に叙せられて、俸禄は2万石となりました。その後佐渡、伊豆、院内などの金銀山の奉行も兼務しました。
長安は生前、この地に正覚山大安寺を建立して、自らの墓(逆修墓)を境内地につくりました。
長安は慶長18(1613)年4月25日に、駿府(静岡市)で病没しました。行年は69歳でした。
境内の大久保石見守墓は、寛政6(1794)年に長安の功績を讃える隣の石碑と共に再建されたものです。それ以前の墓は近くで破片になっている大型の宝篋印塔と推定され、復元すると高さおよそ2mとなります。石碑は同6(1794)年春に建てられたもので、選文は当時39番目の代官、菅谷弥五郎長昌で、筆は大森町中にある観世音寺(真言宗)の住職、漢学者の佐和華石であると陰刻してあります。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H25.12.30
住所: 島根県大田市大森町
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