司馬遼太郎の祖父や父の名が刻まれた玉垣や司馬遼太郎氏文学碑がある廣畑天満宮
2014年03月31日
廣畑天満宮の源祀は、社伝によると、霊亀年間(715~716)には奉祀されていた廣辻神社に始まるといい、昌泰4(901)年、菅原道真が九州下向の途中、広畑の高浜の汀に上陸した際、当地の人々は、道真公の人徳を深く仰いだといわれています。
道真公太宰府で帰幽後、廣辻神社に併せ祀り、おのずから天満宮・廣畑天満宮と称するにいたったと伝えられ、その後文久3(1863)年より境内整備並びに社殿の改修を行い、明治2(1869)年に完成し、同時に鎮座していた蛭子大神・春日大神を合祀して現在の廣畑天満宮の社頭を整えたといわれています。
現在、参集殿の北側には姫路藩の藩校「好古堂」の酒井家時代の教授亀山雲平による石碑が建っています。
そして、南側の鳥居を通って右側には平成15(2003)年に建てられた司馬遼太郎氏文学碑があります。御祭神菅原道真公御神忌千百年記念事業として、社務所を建築した際に、先祖の出身者との由縁により、著書の一筋を文学碑として建立しました。
「祖父惣八は、播州人である。
兵庫県姫路市の浜寄りの郊外の広という村の出身で、そこに江戸時代のあいだずっと百姓をしていた家系に生れた。
戦国のころは播州三木城にその先祖が籠城したという事であるが、身分はわからない。」
「歴史と小説」より
と刻まれています。
司馬遼太郎の祖父、福田惣八氏は幕末に旧来の小祠を改め、現本殿の改築を行った際に、篤志を受けたことにより境内にその名が刻まれた玉垣があります。玉垣は本殿の裏にあり向かって左から二十二本目にあります。
昭和60(1985)年、社務所(現齋館)を改築した際、父福田是定氏の名前で篤志を受けたため、文学碑の右側にその名が刻まれた玉垣があります。
(現地説明板などより)
Photo SONY NEX-7
H26.3.25
住所: 兵庫県姫路市広畑区北野町2丁目3