谷大膳の墓(三木市)
三木合戦の大村合戦で戦死した谷大膳の墓
2014年04月06日
谷大膳の墓は、平田村山ノ上付城の麓にあります。
谷大膳亮衛好は幼名小太郎、享禄2(1529)年宇多源氏佐々木氏の末裔福田六兵衛尉正之の次男として美濃国莚田群伊地良村に生まれました。
近江国甲賀郡長野の豪族で伯父の谷衛之の養子になりました。
衛之が浅井亮政に属し佐和山の合戦で亡くなった後、跡を継ぎ、後伊地良村に住し斎藤道三、織田信長に仕えました。
天正4(1576)年の石山の戦いで大手柄を立て、天正6(1578)年9月三木合戦では秀吉方の武将として平田大村の砦を守っていました。
天正7(1579)年9月9日夜半に兵糧を三木城へ運び込もうとした別所・毛利の軍勢の夜襲を受け、薙刀をふるって奮闘しましたが、身に五十余創をうけ力及ばず戦死を遂げました。
秀吉はその死を悼み、丁重に葬り杉を以て塚木としました。法号、亮衛院殿月賛玄光大居士で、共に戦死した兄福田正舜(玄々院殿)、弟土田小傅次、甥福田彦八良(勇功院殿)同孫三郎(猷駿院殿)を併せ葬りました。一族の位牌は大村の金剛寺にあります。
大膳の嫡男衛友は仇敵室小兵衛の首級をあげました。
秀吉は、父子の功を嘉彰し丹波山家に6千石を与え、江戸時代には1万6千石の大名となり明治に至りました。明治以後華族令により子爵に列せらました。
Photo SONY NEX-7
H26.3.29
住所: 兵庫県三木市大村
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