鹿野城(鳥取市・旧鹿野町)
亀井琉球守茲矩の居城・鹿野城
2006年04月01日
鹿野城の築城時期等はは不明だそうですが、志加奴氏(鹿野氏)の代々の居城であったそうです。
陰徳太平記によれば、天文13(1544)年初夏、因幡に侵攻してきた尼子晴久によって攻撃され、城主の志加奴入道以下300余名が討ち死にしたといいます。
天正9(1581)年に亀井茲矩に与えられました。亀井茲矩の時代には朱印船貿易を行っていたため、天守以下の櫓や門に仏教に由来する名称を付けていたと言われています。「オランダ櫓」・「朝鮮櫓」などの変わった名称の櫓もありました。
さらに自らの居城(鹿野城)を王舎城(おうしゃじょう)、城下町を鹿野苑(ろくやおん)、城の背後にそびえる山を鷲峰山(じゅぶせん)、城下を流れる川を抜堤川(ばったいがわ)と名付けました。
元和3(1617)年亀井政矩が石見津和野に移封され池田光政の鳥取入府に伴い、家老・日置忠俊が城主となりました。寛永5(1628)年、火災により城の一部が焼失しました。
寛永9(1632)年には池田氏間の領地替えにより、光政は岡山へ、代わりに鳥取藩には池田光仲が入部し、代官佐藤知之が入部しました。しかし、島原の乱の後の政策により、正保元(1644)年破却されました。
※平成16(2004)年11月1日 に鹿野町は鳥取市に吸収合併されました。
H10.6.27
H18.11.3
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.8.15(写真差し替え)
住所: 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野796
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