九里氏の居城で11代将軍足利義澄を迎えた水茎岡山城
2014年07月13日
水茎岡山城(すいけいおかやまじょう)は、一説には、南北朝時代に佐々木六角氏の湖上警護の支城として築かれたといますが、文献等に出てくるのは、在地領主九里氏の城としてです。
永正5(1508)年、に11代将軍足利義澄が前将軍足利義稙(義材・義尹)の入洛を恐れ近江に逃れた際、九里信隆は義澄を保護しました。
永正8(1511)年2月には義澄の子、亀王丸(後の12代将軍義晴)が生まれました。同年8月には京に攻め上がった義澄が、敗走して帰城の後、当城にて急逝しました。
永正11(1514)年、六角高頼の謀略によって信隆は殺され、その子浄椿(じょうちん)が城主になりました。
永正13(1516)年9月には来襲した六角勢を撃滅しましたが、永正17(1520)7月、六角定頼の奇襲を受けて数百名の餓死者を出して落城しました。 命を救われた九里でしたが、
大永元年(1521)年12月、当地で生れた亀王丸(足利義晴)が12代の将軍に就いたことを知り、思い残すことはないと自刃しました
その後、九里氏の残党は九里三重郎を盟主にして、再度当城に立て籠もり、大永5(1525)年の黒橋の戦い(現近江八幡市西の庄町黒橋)において佐々木六角氏と戦い敗北したため九里家は滅亡し、水茎岡山城は廃城になったといわれています。
城跡は、岡山の北側、「老人ホーム水茎の里」のすぐ西側にある「名勝 水茎岡」の石碑付近から登ります。かなり藪化がすすみ、登城路は草や荊に覆われ攻略は困難ですので、注意が必要です。
なお、湖岸道路を挟んだ北西側の丘の麓には昭和57(1982)年に石碑と供養塔が建てられました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.7.12
住所: 滋賀県近江八幡市牧町