山上陣屋(東近江市・旧永源寺町)
江戸時代譜代大名稲垣氏の陣屋だった山上陣屋
2014年07月13日
山上は鎌倉時代から室町末期にかけて小倉氏が支配していました。
織田信長没後の天正11(1583)年、秀吉が北政所ねねの叔父・杉原家次(坂本城主)に山上庄2336石を知行として与えましたが、翌年に他界したため、浅野長政(大津城主)の知行地に加え、八風越えに備えました。天正19(1591)年、織田信長の遺児織田信高に山上庄内1060石を与えました。
ちなみに織田信高の母はお鍋の方(異説あり)とされていますが、お鍋の方は小倉氏の出身といわれています。
しかし、慶長4(1599)年他に変えられました。
元和5(1619)年山上は高崎城主安藤重信の所領となり、重長・重博と続き、元禄8(1695)年、備中松山に転封された後は一時天領となりました。元禄11(1698)年、譜代稲垣長茂の孫、稲垣重定の筆頭所領となりましたが、稲垣氏は幕閣の重鎮で江戸定府大名で参勤交代もなく、藩政は大津蔵役敷で代行されました。寛政6(1794)年定淳の時に山上陣屋が設置されました。そして明治まで藩主稲垣氏が続きました。
明治2(1869)年の版籍奉還で藩主稲垣太清は、家臣七十二世帯と共に山上に帰り藩主宅9軒、長屋11軒の完成まで村内の安養寺に寓居し、藩知事の職務を執行しました。
(現地説明板などより)
国道422号山上小学校前交差点を北側に進み、紅葉橋南詰交差点の北側の北西側に説明看板が建っています。
説明看板の南側一帯が陣屋跡だったそうです。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.7.12
住所: 滋賀県東近江市山上町
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