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高城城〔高城〕(木城町)

山田新介有信が二度の戦いで守り切った高城城(高城)
2014年08月03日
カテゴリ : 宮崎県 > 観光 > 建物・史跡
高城城(高城)は、小丸川とその支流である切原川に挟まれ、標高60mを数えます。
地形は舌状に細長く伸び台地であり、見晴らしには大変優れた所に営まれた山城です。
この城では天正6(1578)年、天正15(1587)年の二度に渡り、大合戦がありました。
その当時、日向で勢力を誇っていた伊東氏が島津氏に負けて豊後に逃げ、親類の大友氏を頼ります。大友氏はこの際、新興勢力の島津氏を潰そうと、約5万の大軍でこの城を攻撃しました。しかし、高城城主・山田新介有信は僅かな兵力でよく防ぎ、とうとう大友軍は大敗しました。これを高城川合戦と呼んでいます。
この合戦が原因で、今度は豊臣秀吉の弟、秀長率いる15万の大軍と合戦することになりますが、この時も新介はよく防ぎ、この城は落城しませんでした。これらの戦いは、戦国時代の九州において最大規模の合戦であります。
また、この高城は、その二度の戦いとも落城しなかった難攻不落の名城として、名将山田新介有信の名と共に語り継がれています
城としての特徴は、現在、城山公園として利用されている箇所が、東側の主郭と考えられる曲輪と考えられています。ここでは島津氏の家臣であった城主・山田新介有信らが、戦いに備えるための本部として利用していたと考えられます。またこの城に敵が侵入するのを防ぐために、7箇所の竪堀が見られるのが特徴です。
当時の山城にはこういった自然地形を利用して、幾多の戦いを繰り広げています。
平成4(1992)年度には、木城町の城山公園整備事業によるメロディ時計台建設に伴い発掘調査が実施されました。その結果、竪穴状遺構、柱穴、石列などの遺構、土師器といわれる杯、小皿、青磁器、白磁器、陶器などの遺物が確認されました。これらの遺物の時期は、戦いが繰り広げられた時期に該当し、当時の戦いの状況がより理解することができます。
(現地説明板などより)

Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.7.18
住所: 宮崎県児湯郡木城町高城

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