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舞鶴城〔国分城〕(霧島市・旧国分市)

島津義久の隠居城・舞鶴城〔国分城・国分御屋形・国分新城〕
2014年08月11日
舞鶴城(国分城)は、国分御屋形跡、国分新城とも呼ばれています。
島津義久は、慶長9(1604)年、富隈城から移居し、慶長16(1611)年79歳で死去するまで在城しました。
後に義久の三女の亀寿姫が寛永7(1630)年に死去するまでの20年間をこの城で過ごしました。
その後、この城の隣接地に地頭館がおかれ、清水・襲山(現在の重久)・敷根の各地頭館と並んで、国分郷の政治と警備の中心として幕末に至っています。
舞鶴城は山城の南麓に造営され、天守を持たない「屋形造り」で、平時は軍事・行政が執行されますが、戦時になると、城山(隼人城)に立籠もるという方法がとられました。築城の際、山麓一帯(現在の市街地)も城に合わせて区割りを行い、碁盤目のような整然とした町並みは現在の市街地の基盤となっています。
城跡は、現在は現在は国分小学校及び国分高校の敷地となっており、南側に石垣と堀の一部を残すのみです。
また、朱門(あかもん)が移築されています。
朱門は、舞鶴城内陣の門であったものを市内重久の細山田家の祖先が領主島津義久公より拝領したものと伝えられていますが記録もなくはっきりとしたことは分っていません。門が「朱」で塗布されているところや、門の形状も比較的小さいことから、舞鶴城内にあったとすれば、奥向きに通じる門でなかったかと推察されます。
昭和38(1963)年、細山田家から大隅国分寺跡に移転保存されたが、台風のため倒壊しました。
昭和50(1975)年、国分市の市制20周年事業の一環として、朱門を修復し、ゆかりの舞鶴城に復元しました。
(現地説明板より)

Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.7.19
住所: 鹿児島県霧島市国分中央2丁目

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