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富隈城(霧島市・旧隼人町)

島津義久が九州征伐の後居城とした富隈城
2014年08月12日
富隈城は島津十六代義久によって築かれた城で、平地にあり、小山を本丸代わりにした平山城です。
この城は東西約150m、南北約250mの方形で西・東・北側に堀があったといわれ、現在は北と東側に堀の跡が残っています。
城の造りは、天守閣がない館形式で城門も茅葺きであったということです。西側や東側には、野面積という技法で積まれた石垣が残っていますが、これは肥後八代の種山の石工が築いたものだと伝えられています。
義久は、文禄4(1595)年から慶長9(1604)年まであしかけ10年間ここに居住しました。義久が富隈に来たのは、豊臣秀吉の島津征伐に敗れ、降伏した意思を表すため、鹿児島の城を弟義弘の息子忠恒(家久)に譲り、富隈に隠居の形をとったためだといわれています。
義久在城の間、朝鮮出兵、関ヶ原の戦いなどが相次ぎ、日本は激動し、島津氏にとっても苦難の時代でした。義弘が関ヶ原で家康の本陣を突き、敵中突破してわずかの家臣と帰り着いて、兄と対面したのもこの富隈城でした。朝鮮出兵にも富隈衆が多数参戦しました。また秀吉の勘気にふれ、文禄元(1592)年薩摩の坊津に流された近衛信輔も、文禄5(1596)年許されて帰京の途中この城に立ち寄り、歌会や能楽等を行っています。
慶長9(1604)年、島津義久は隣の国分に舞鶴城(国分城)を築いて移ったため、富隈城は廃城となりました。
城内には島津氏が氏神として崇拝した稲荷神社が祀られています。御祭神は、宇迦御魂命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、得仏(島津忠久)、得仏夫人です。
大昔、この付近は海で、住吉崎として住吉一神だけ祭られていましたが、永和元(1375)年、大隅の守護職第6代島津氏久が島津の元祖、忠久、忠久夫人を合わせ祭って、一ノ宮大明神としました。その後、島津義久が富隈に居住していた慶長4(1599)年、さらに島津家の氏神、稲荷神を勧請して稲荷神社と称しました。
こうして、もともと住吉崎の漁業、航海の神様だった神社に、五穀豊穣の神様が加わり、今に変わらぬ人々の尊崇をあつめています。
(現地説明板より)

Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.7.19
住所: 鹿児島県霧島市隼人町住吉

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