調所広郷の像(鹿児島市)
天保山公園にある調所広郷の像
2014年08月31日
調所広郷(通称笑左衛門)の像は、平成10(1998)年3月、天保山公園に建立されました。
幕末に近い文政10(1827)年、薩摩藩の借金は、500万両の巨額に達していました。
当時の藩の年収総額10数万両は、借金金利に遠く及ばず、正に破産の危うきにありました。
時の藩主島津重豪公は、究極の策として一介の茶坊主上がりの調所広郷を家老に抜擢、藩財政改革を厳命しました。
広郷はその期待に応え巨額の負債を解決し、あまつさえ50万両の蓄えさえ残しました。
更に藩政の興隆を図り、数々の土木工事を行いました。
平成5(1993)年8月6日の災害で惜しくも決潰あるいは撤去されましたが、広く県民に親しまれた西田橋等甲突川五石橋も、天保山の造成も全て調所の発案です。
改革は藩内に留まらず、広く海外交易にも力を注ぎ、琉球を通じた中国貿易の拡大や、北海道に至る国内各地との物流の交易をはかって、藩財政の改革の実を挙げたのは、この調所広郷です。
だが歴史は時の為政者によって作られ、調所広郷は幕府に呼ばれ密貿易の罪を負い自害に追い込まれ、今も汚名のままです。
しかし、斉彬公の行った集成館事業をはじめとする殖産興業・富国強兵策・軍備の改革の資金も、明治維新の桧舞台での西郷・大久保の活躍も全て調所の命を賭け、心血を注いだ財政改革の成功があったからです。
(現地説明板より)
Photo SONY NEX-7
H26.7.20
住所: 鹿児島県鹿児島市天保山町
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