島津貴久の居城で、フランシスコ・ザビエルと対面した一宇治城
2014年09月02日
一宇治城は戦国時代の山城で、山の名は鉄丸山といい、一番高いところは、144mです。今から約900年前、建久年間、郡司として着任した紀四郎時清が城を築いて四代130年程居住しました。これを「古伊集院家」といいます。
その後、島津家の一族久兼が城主となり新しい伊集院家となりました。やがて、文永・弘安の二回にわたり元の大軍十万が博多湾に来攻、久親・忠親の父子が参加して防戦し、神風の力も得て撃退することができました。この神恩に報いて「神明神社」を建てました。
伊集院氏は4代伊集院長門守忠国の頃、勢力も強大となり文教も栄えました。忠国の子二人は僧になり、兄南仲禅師は郡に広済寺を、弟石屋禅師は徳重に妙円寺を建て全国に有名になりました。
後、南北朝の永い戦乱が始まり、忠国は南朝に味方し、北朝の島津と戦いました。この功により、後世従三位が贈られました。
伊集院氏の伊集院支配も幕を閉じ、天文5(1536)年島津貴久が城に入り島津氏の居城となりました。
天文18(1549)年9月29日フランシスコ・ザビエルが日本で初めてキリスト教布教許可を受けたのもこの神明城であったと推定されています。
天文19(1550)年、島津貴久は、鹿児島に移り、後は地頭の支配となりました。犬之馬場等も、貴久時代に整いました。大手口は伊集院氏時代は荒瀬の方にありましたが、島津氏が入ってからは犬之馬場の正面に変更されました。
神明城、伊作城、南之城、中之城、釣瓶城等独立性の高い曲輪で構成されています。神明城が本丸の位置づけで、昭和24(1949)年、「丸に十字」と「十字架」を組み合わせ、ザビエルの会見記念の碑が建立されています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.7.20
住所: 鹿児島県日置市伊集院町大田