伊作城(日置市・旧吹上町)
伊作城は、築城時期は不明ですが、伊作島津氏の居城として築城されました。
伊作島津家は、薩摩国守護第3代・島津久経が次男・久長に弘安4(1281)年伊作荘の地頭職を譲ったことに始まります。
その後、10代忠良(日新斎)に至るまで伊作島津氏の居城として使用されました。
島津忠良の父善久が死去し、忠良の母・常盤は相州家・島津運久と再婚したこともあり、永正9(1512)年、運久は相州家の所領を忠良に譲り、忠良は伊作家と相州家の当主となり、居城を田布施城に移しました。
大永6(1526)年忠良の子貴久は、本家の勝久の養子となり、父忠良と共に清水城へ入りました。勝久は隠居し、伊作城へ入りました。
しかし、勝久はその後養子縁組を解消し、清水城に戻りました。薩州家の島津実久が貴久の家督相続に不満を持っていたことが理由です。
忠良と貴久は、伊作城攻めをして、伊集院重貞を破り伊作城を回復しました。
その後、忠良・貴久は天文19(1550)年、再び鹿児島へ入り、新たに内城を築いてこれを本城としました。
その後、伊作城は島津氏の外城の一つとなり、近世島津氏の発祥の地として、江戸時代には「御番」が置かれました。
尚、忠良の孫であり、貴久の子義久・義弘・歳久・家久も、伊作城で生まれています。
本丸の亀丸城跡には、忠良の他、忠良の娘や義久、義弘、歳久、家久の誕生石があります。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.7.20
住所: 鹿児島県日置市吹上町中原
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