秋月城(朝倉市・旧甘木市)
福岡藩黒田氏の支藩、秋月藩の居城・秋月城
2014年09月23日
秋月という地名は、正暦3(992)年9月20日に筑前国府宛に大宰府が出した官府によると、紀元940年代にこの地が筥崎八幡宮の荘園になったときに、秋月荘と名づけられたからのようです。
山に囲繞されたこの盆地は、外敵の侵入を防ぐには便利な土地で、従って昔から覇権を狙う者は、根拠地としました。
遠くは、神功皇后が古処山に拠った羽白熊鷲を討たれ、下っては鎌倉幕府の2代将軍・源頼家が、原田種雄に建仁3年(1201)に秋月荘を贈ったので、種雄は秋月と称し、古処山城を中核に覇を張り、16代・385年間、天正15(1587)年の豊臣秀吉の九州征伐まで、盛衰の歴史を繰り返しました。
ここの地名は俗に「梅園」といいます。
この秋月城は黒田長政の死後、元和9(1623)年、その三男・長興が5万石を貰って分封され、秋月藩主となったのが始まりです。
以来、廃藩置県まで12代・246年間、黒田氏はここの館に住んでいました。
現在、城跡には長屋門と、本門(黒門)が残っています。
長屋門は、秋月藩主黒田家の居城である秋月城の裏手門として使用されていたもので、老朽化に伴い昭和62(1987年)年から3年間、保存修復工事及び発掘調査が実施されました。 その結果、北棟のさらに北側に古い礎石が発見され、原形に近い形(北六間、南七間)での復元がされました。秋月城内で唯一現地に残る建物であり、秋月城の面影を最もよく伝えています。
本門(黒門)は、2回移築されている。もとは秋月氏の本城である古処山城(こしょさんじょう)の搦手門で、それが元和9(1623)年に秋月藩の成立した後、秋月藩の大手門として、現在の秋月中学校前の瓦坂の奥に移されたといわれています。さらに明治13(1880)年、垂裕神社の門として現在の場所に移されました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.9.14
住所: 福岡県朝倉市秋月野鳥663
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