名護屋城・徳川家康陣跡〔本陣〕(唐津市・旧鎮西町)
通称竹の丸に本陣を置いた徳川家康陣跡
2014年09月29日
文禄・慶長の役において、その戦略基地として築かれた「名護屋城」や多くの「陣屋」は現在でもその跡を良好に伝えています。
豊臣秀吉の命により、徳川家康、前田利家、黒田長政、石田三成、加藤清正、鍋島直茂など全国の諸大名がこの地に集結させられ、陣屋を築造、長期滞在を強いられました。
当時、徳川家康は、武蔵江戸を城地とした242万石の大名で秀吉に次ぐ実力者でした。家康は、文禄の役に際し15,000人の兵を駐屯させ、名護屋城の守りにあたったと伝えられています。通称「竹の丸」と呼ばれるこの地に本陣を、名護屋湾を挟んだ対岸の「地獄の浜」に別陣をつくり、名護屋湾の要衝を固めました。
昭和60(1985)年鎮西町立名護屋保育所(現在のなごや保育園)の改築に伴い、発掘調査が実施されました。調査の結果、主郭南西部に割石を用いた整美な石垣が見つかり、その周囲に大量の瓦が出土したことから、隅櫓の石垣と推定されています。また、主郭より一段低い平坦部は曲輪と考えられ、特に主郭の西側(現在畑地)及び南側には堀がめぐっていることが確認され、守りを強固なものにしています。さらに、現在の保育所の通路は当時の通路とほぼ一致し、通路の南側には幅約5m、深さ約5mの堀が南へ伸びていました。当時の堀の平面形は砂場の輪郭線で表示されています。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.9.14
住所: 佐賀県唐津市鎮西町名護屋
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