鴻臚館跡(福岡市中央区)
平和台球場跡地付近にあった鴻臚館跡
2014年10月05日
鴻臚館(筑紫館・つくしのむろつみ)は古代(飛鳥・奈良・平安時代)の迎賓館に相当し、中国の唐や、朝鮮の新羅の外交使節や商人などをもてなすとともに、日本の外交使節である遣唐使や遣新羅使の送迎にも使用されました。同様の施設は、平安京、難波と筑紫の3カ所に設けられましたが、遺跡の存在が確認されたのは、この筑紫の鴻臚館のみです。
筑紫の鴻臚館の役割を持つ施設は、飛鳥、奈良時代にはその時々に応じて筑紫大郡、小郡、筑紫館の名で呼ばれており、平安時代になって中国・唐の外交施設である「鴻臚寺」にならって「鴻臚館」と改称されました。
鴻臚館は、7世紀後半から11世紀前半の約400年間、対外交渉の窓口として重要な役割を果たし、永承2(1047)年の放火事件の記事を最後に史料から姿を消します。
江戸時代には現在の博多区下呉服町付近の管内町にかつて鴻臚館があったと考えられていましたが、大正末期に中山平次郎(九州帝国大学医学部教授)は、遣新羅使が筑紫館で詠んだ万葉集の古歌をヒントに古代の瓦や中国陶磁器を福岡城内で採集し、福岡城説を唱えました。
そして昭和62(1987)年、平和台球場外野席の発掘調査で鴻臚館の遺構が発見され、中山説が裏付けられました。
平成7(1995)年には、南側遺構に鴻臚館跡展示館が建てられ、検出された遺構や出土した遺物が展示されています。
福岡市教育委員会では、鴻臚館跡の全容解明のため発掘調査を現在も続けています。
平成11(1999)年から平和台野球場跡地で鴻臚館跡の発掘調査を続けており、これまでに鴻臚館が周囲より4mほど高い台地の上に造られていたこと、中央の堀をはさんで南北に二つの建物があり、何度か建て替えられていたこと、南北を行き来するための橋が架けられていたことなどを確認しました。
(現地説明板などより)
展示館
利用時間 午前9時〜午後5時
休館日 12月29日〜1月3日
入館料 無料
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.9.15
住所: 福岡県福岡市中央区城内1
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