聚楽第・上杉景勝屋敷跡(京都市上京区)
聚楽第の周辺にあった上杉屋敷・上杉景勝屋敷跡
2014年10月19日
当地は平安京一条大路のすぐ北にあたります。つまり平安遷都当初は都市域ではありませんでしたが、西隣地(一条大宮上ル西側一帯)に平安中期の能書家、藤原行成が世尊寺を創建したと推定されており、京外ではあるが当地も早くから開発されたと思われます。
室町時代には、備中国に勢力をもつ細川勝久の屋敷が営まれました。応仁の乱では一族の細川勝元に属したため、応仁元年(1467)5月、当地も洛中での最初の合戦にまきこまれました。
応仁の乱から約120年後、天下一統を進める豊臣秀吉は、京都に本拠を定めました。征夷大将軍ではなく、関白として、天皇のそばでの政権維持を考えたためです。
そのため洛中に本格的な城郭を建設した。現在の一条大宮の西南一帯に位置した聚楽第です。注目すべきは、全国の大名が、秀吉の命により聚楽第のそばに大名屋敷を営んだことです。すなわち京都は単なる豊臣家の中心地ではなく、「武家国家の首都」になったのです。
当地にはその際、北国の大名、上杉(弾正少弼)景勝の屋敷がつくられました。重臣直江兼続も出入りしたことは間違いと思われます。
当地が上杉屋敷跡であることは、信用できる同時代史料により、一条戻橋ちかくに存在したこと、そのすぐ西側に大宮通りが通っていたと分かるほか、少なくとも江戸初期から当地の地名が、上杉弾正少弼に通ずる「弾正町」であるため確実と考えられます。
「京都歴史地理同考会」(NPO法人)が、 NHK大河ドラマ「天地人」を記念し、平成21(2009)年4月26日に「聚楽城 武家地 上杉景勝屋敷跡碑」(村田眞一氏寄贈)が設置されました。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.10.4
住所: 京都府京都市上京区弾正町731
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