名護屋城(唐津市・旧鎮西町)
朝鮮出兵の根拠地となった名護屋城
2006年04月11日
名護屋城は、肥前国松浦郡名護屋に、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際し築かれました。
元は、松浦党波多三河守親の家臣名護屋越前守経述の居城であった柿添城があった場所です。
文禄元(1591)年加藤清正、寺沢広高が普請奉行となり九州諸大名を動員して着工し5ヶ月足らず、文禄元(1592)年3月に完成しました。いちおう完成を見たといわれる。は、桃山芸術の粋と技法を駆使した城郭を中心に、全国の大名の陣営120ケ所が建設されました。
当時の規模は大坂城に次ぐものだったそうです。
慶長3(1598)年秀吉の死とともに朝鮮出兵は中止され、城は役割を終えました。秀吉がこの城に滞在したのは述べ1年2ヶ月に過ぎなかったそうです。
その後、寺沢広高が唐津城築城の際に名護屋城の櫓や門を移築しました。その他伊達政宗の仙台城大手門や松浦鎮信の平戸城の城瓦にも利用されたそうです。
二度と利用できないよう石垣の四隅を切り崩すなどの作業が行われましたが、更にの島原の乱の後本格的に破却されました。
大正15(1926)年、「名護屋城跡並陣跡」として国の史跡に指定されています。昭和30(1955)年には特別史跡に指定されました。
平成18(2006)年、日本100名城に指定されました。
平成26(2014)年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の第42回「太閤の野望」の「官兵衛紀行」で紹介されました。
H6.9.8
Photo Canon EOS 30D
H21.9.4(写真差し替え)
住所: 佐賀県唐津市鎮西町名護屋
関連リンク
タグ
地図
関連情報