イカルス号事件の裁判も行われた運上所跡・我が国鉄道発祥の地跡
2015年01月12日
運上所は、安政5(1858)年の開国により、税関の事務、外国船からの税金徴収や荷改めを行うために設置されたもので、当初は「湊会所」と呼ばれていました。そして、万延元(1860)年の第一次居留地造成工事に伴い、築町の俵物役所内に移転しました。
文久3(1863)年に「運上所」と名称を改め、慶応2(1866)年には庁舎をこの地に新築・移転しました。
イカルス号事件は、慶応3(1867)年7月6日夜、英国艦隊イカルス号の水兵2人が丸山花街寄合町の道路に泥酔して寝ていたところを何者かに殺害された事件ですが、土佐藩士が疑われ、高知談判で結論は出ず、長崎に戻って8月18日、立山役所、翌8月19日に運上所での裁判となりました。裁判には坂本龍馬も立ち会いました。
その後、明治6(1873)年に運上所は「長崎税関」と改称し、明治24(1891)年に本庁舎の建て替えが行われました。長崎税関が現在の出島町に移ったのは、昭和3(1928)年のときです。
慶応元(1865)年、英国人貿易商トーマス・グラバーが、ここから松ヶ枝橋の方向にレールを敷いて、英国製の蒸気機関車アイアン・デューク号(鉄の侯爵)を走らせました。この運転は営業を目的としたものではありませんでしたが、蒸気機関車の運行としては日本で最初のものでした。この試走は日本近代化の先駆けとなりました。
(現地説明板などより)
Photo SONY NEX-7
H26.12.26
住所: 長崎県長崎市新地町6